2011年8月7日日曜日

川端康成

twitterじゃあ100%下ネタなので、
このblogではまともな事を書いておかないと本当に変態になってしまうので、
今回は僕の好きな本の話。

「トンネルを抜けるとそこは雪国だった。」

皆さんは、この冒頭を覚えていますでしょうか、
中学生の時か高校生の時に国語の授業で習った川端康成の雪国の冒頭を。
僕は、中学生の時も高校生の時も殆ど勉強をせず泳いでいたので、
恥ずかしながら、22才くらいにやった自主企画「偏差値10からの大学受験」で覚えました。
その時、僕は勉強に必死になりすぎて大事なものを無くすのですが、
それはまたべつのお話・・・。

話が若干ずれましたが、この川端康成という作家は、言うまでも無く周知された作家でしたが、筒井康隆が大好きな僕には、純文学というような瓶底眼鏡をかけた輩に似合いそうな作家には縁が殆どありませんでした。・・・が、どこでどう間違ったのか、この作家の「古都」いう本が、本棚に紛れ込んでいたのを見つけました。

この話の主人公は千恵子という男を意識し始めた年頃の女性で、冒頭で川端康成は、彼女の庭に植わっている「もみじの木」をこう表現しています。

「そのもみじは、町なかの狭い庭にしては、ほんとうに大木であって、幹は千恵子の腰まわりよりも太い。もっとも、古びてあらい膚が、青くこけむしている幹を、千恵子の初々しいからだとくらべられるものではないが・・・。」

この文章を読むと、千恵子の若々しく、弾力のある肉々しい体のイメージしか残らない。
しかも、もはや筆者の川端康成及び読者、この文書に関わった全ての男子が、もみじの木の太さなどどうでもよくなっていることに気付く。

文部省、はたまたGHQの陰謀により純文学のレッテルを日本国民に植え(インプラント)つけられてしまった川端様。その策略にはまってしまっていた僕は、殆ど彼の本を手に取るようなことはありませんでした。・・・が、川端様がこのような変態(=仲間)だったとは思いもよりませんでした。

人は見かけによらない、百聞は一見に如かず・・・皆さんも回りの人を先入観で見ていませんか?