2011年9月23日金曜日

とあるノンフィクション

高校の頃、松戸の馬橋にボトルという滅茶苦茶上手くてかっこいいバンドがいて、僕の憧れだった。
ベースは男前だし、ドラムは上手すぎた。ギターの人は、歯並びが滅茶苦茶悪かった(個人的には魚と呼んでいた)けど、reachが弾けてたし、なにしろ三人が選んでやっていたハイスタ曲は高校生にとっては難易度が高いものばかりだった。何回か対バンしてもらったが、その時古巣アライブ(豊四季)にボルボで乗り付けていたとのちに聞いたときは、腰が砕け、格の違いを思い知った。

一方、そんなボトルに対抗心剥き出しの僕等ピンポンダッシュのライブは汗をかいただけで、演奏、人気に関しても完敗し、涙ぐんで白電で帰ったっけかな。
その後、僕等はメロコアではボトルに勝てないと白旗を揚げ、HCにのめり込んで行く。
ヌンチャク、マイナーリーグはほぼやった。

そして、高校を卒業し、それぞれの道を歩んでいくボトル、ピンポンダッシュ。
この二つのバンドはその後、舞台の上で二度と会いまみれることはなかった。

20才の頃、僕等はピンポンダッシュから幕末へと改名し、どんどんHCの深みにはまっていく。
外人だとaftershock,killswitch engage。日本人だとswithstyle,statecraft、NUMBやENDZWECK。hellchaild,force,324,nice view,ninedayswonder,kulara,there is a light that never goes out等、数え上げたら切がないが、なかでもenvyにははまった。その途中で、僕等のダークなはまり方について行けなかったDrの都築(←そら豆を想像して頂けるとありがたい)は、近々ライブが決まっているの中、消えるようにバンドから去っていった。
・・・Bのオダと二人で途方にくれたっけ・・・いや、ブチ切れてた!!。

そんな時に手を貸してくれたのが、元ボトルのDrハッサンだった。
オダと僕は、この窮地を救ってくれる奴はハッサンしかいないと確信し、助けを求めた。憧れのボトルのメンバーとプレイできる喜びは、その実力に比例していた。
この時、すでにボトルが活動を停止してしまったと聞いていたので、ハッサンにこのままヘルプを続けられないかお願いしようと思ったが、都築同様にハッサンも僕等のダーク過ぎるHCのはまり方にはついて来れない様子で、二度と助けを求めることは出来なかった。

風の噂によると、ボトルの現在まで続く活動停止の理由は、
音楽せいの違いというメジャーアーティストような理由で、
ここでも格の違いを見せ付けられた思いだった。
一方、ボトルの活動停止を対岸の火事のように見ていた幕末にも、
空中分解という黒い影がこの時迫っていたことには、僕自身、全く気付かなかった。

けど、今思うとハッサンに幕末のヘルプをしてもらった時、
ASTERISKっていうパズルのピースの柄はすでに決まっていて、
僕等の思春期が通り過ぎるのを待ち望んでいたのかもしれない。

to be continued